中1×AV

「私の転機」

  

私の夢は映画監督だ。私は美しい芸術作品が大好きだ。特に映画や映像作品が好きだ。自分で美しい映像作品を創り出し、その道で生きていきたいと決意している。このような夢を持つ20歳の「ワタシ」の土台を築いてくれた、感謝してもしきれない経験について語りたいと思う。

 

転機

中学1年生の夏が過ぎた秋の休日。私の世界が広がった。私の人生を劇的に変えたのは1本のアダルトビデオである。ふざけてなんかはいない。本気である。当時の私は性欲盛んであり、もちろんアダルトビデオを娯楽として見ていた。その日もいつものように夕食後腹も膨れ、気持ち的にもムラムラしてきたため、アダルトビデオ鑑賞をしようとしていた。当時私の一番のお気に入りは希美まゆさんのアダルトビデオであった。いつも通り自慰をして終わるはずだった。いつも通り。。。いつも通りにはならなかった。1人の男優がいたからである。それは私の人生を大きくひっくり返した吉村卓という男である。

怪優・吉村卓

 彼は、当時中1だった私がこの世で一番の美人であると考えていた希美まゆをニタニタ笑いながら、顔や体、恥部とも言える脇や肛門をなめ回して唾液まみれにするような、究極の変態を演じていたのである。衝撃が走った。言葉を失った。その瞬間から、このアダルトビデオをエッチな映像として見ることができなくなった。私の世界が一気に広がった。

「すごい」

この気持ちでいっぱいになった。作り物の世界とはいえ、このような世界を見せられて私は世界の広さを知った。絶世の美女と(言い方は悪いが)キモいおっさんが生命の輝きとも言えるようなものすごいセックスをしているのである。この2人のコントラストが僕にとってたまらなかった。夢もなく、ただ親の仕事を継ぐだろうと考えていた、岐阜の田舎で何にも希望を持たず平凡な日常を過ごしていた中1の「シンヤ」に世界の広さを教えてくれた。そして、映像作品の生み出す美しさと感動を知った。自分が気づいていないだけで、世の中には素晴らしい・美しい・楽しいが溢れている。そのことにわずか中学一年生で気づくことができた。そこから人生が輝き始めた。

激変

 

もっともっと世の中には美しいものが溢れているのではないかと考え、自分の世界を広げたいと考え行動を始めた。自分の知らないものや経験には、思いもよらない世界が広がっていると考え、それまでの自分とは別人のような行動をした。学級委員をやったり、文化祭実行委員長になったりクラス対抗の劇では監督を務めた。振り返ると財産であったと思う。まったく自分がやったことがないことをする行為が刺激的で快感だった。これらのことを今振り返ると苦労は多かったが、財産であるといえる。一番の財産は世の中にはある程度一貫した仕組み・真理が存在しているということに気付いたことである。まだ社会に出たことがない人間の理解は浅いものであるとは思うが、少なくとも正しい事であろう最低限のこと

・成功までの道のりは一つではないが、限りなく正解に近い道があること。そしてそのやり方。

・この世にはどうしようもない事が溢れている。

このようなことに中高生の時に気付くことができた。生きていくうえで、うまくいくことが増え、失敗しても達観して考えることができ精神的に楽になった。

加えて人とのコミュニケーションもうまく取れるようになった。自分の知らない、考えたことのない意見等を否定的な態度をとることなく受け入れることができた。ポジティブな考え方を持つことで、コミュニケーションが円滑になっていった。

 夢との出会い

高校時代時間を見つけて、本や映画を漁った。圧倒的な世界観・滑らかな展開、美しい言葉・人間の感情の起伏や生き様が表現されていて夢中になった。将来はこういった作品を作りたいと人生で初めて夢ができた。特にリュックベッソン監督作品(「レオン」、「グランブルー」「ジャンヌダルク」「ニキータ」など挙げればきりがない)を観たのがきっかけで映画・映像の世界で将来働きたいと決心した。素人目でもわかる圧倒的な映像美・カメラワーク、映像もキャラクターも何から何まで全てがおしゃれで圧倒された。「それならばお前の転機はアダルトビデオじゃなくてリュックベッソンの映画じゃないか!」と思われる方もいるだろう。

しかし、私はそうは思わない。今までは映画に興味を持つことがなかった私が映画を鑑賞し、ただの映像として終わらないように感じたり解釈したりすることができるきっかけを作ったのは間違いなく1本のアダルトビデオであり、吉村卓なのである。こじつけがましいと思う人もいると思うが、僕はアダルトビデオをみて人生が変わったと自信をもって言える。

現在私は大学2年生である。映画サークルに所属し、シナリオを学べるスクールにも通いパソコンで美しい映像作品を作るという生活をしている。才能がないと無理と言われる世界でもある。このままでは将来飯を食えないかもしれないという不安もある。しかし諦めきれない。やすやすと諦めることができるほど、半端な情熱を持ち合わせていない。

 

美しいものを創りたいたいという思いと、あの日みた衝撃を胸に